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手紙を書く。
そんな日常は過ごしてこなかった。書いたことのあるのは幼いころの年賀状と
ほんの少しのラブレターが記憶の片隅にある程度。
年賀状に色鉛筆や筆ペン、手紙にボールペン、手に取り机に向かうと進まない。
少し書いては気が散る、また書いてみても集中していないことに気付く。
書き終えるのに時間を使い、気まで疲れていたことが体が覚えている。
同じ机に向かうでも、数学や物理は集中していた。
なぜか?
仕事も机に向かうことは少なくない。レポート、報告書、稟議にプレゼンに、
その中でも筆が進まないと言うか、ペンすら持ちたくないこともある。
なぜだ?
気が付いた。
心が頭が疲れるから書きたくないんだ。
文字を書くだけなら、書くだけ。さほど頭も心も使わない。別に嫌ではない。
処理ならば。(楽しい訳ではないが)
しかし、相手に届ける文章は違うと考えてしまっている、人によっては自分の伝えたい事を書くのが手紙なのだから、書きたいように書けばよい。となるのだろう。
手紙も報告書も自分のことや相手のことを、誰かに伝えようとした時に、どう感じ、どう受け取られるのかを考え過ぎて、文章が出来上がらない(まとまらない)
それがスッキリ出来上がらいことで自分の才の無さに、がっかりもしていた。
習い事で習字を学んでいた。
ある時期までは人並みに綺麗に文字は書いていた。
デスクワークが仕事の一部になってから、膨大な文字を書くようになってからというもの、今まで経験したことがないほど(私の感覚です)ボールペンの芯を替えるようになりました。
そのころからです、文字が崩れていきました。処理のスピードを上げざるおえず必然的に速記のようになりました。
私流の速記文字が出来上がりました。当然誰も読めません。
達筆なのではなく、もはや文字の呈をなしていなかったのです。
それでも処理のスピードを上げる必要がありました。
以前のそんな仕事内容から代わり、現在はさほどのスピードはいりません。
量的にも減ったと感じる芯の替える頻度。
速記に長年使った、私の腕の筋肉達はそれ用にカスタマイズされました。
そうです。文字が戻らない、へたくそで汚く、読めないんです。
ショックでした。
今は時間が許す限り、ゆっくり書き、きれいな文字に成るべく筋肉をゆっくりカスタマイズする日々です。
そんなわたしがブログとは・・・・
手書きの文字はゆっくり、改善。きれいな字を目指す日々。
文章もやはり上手になりたい。一年後、今よりも成長した文章を書いている自分を思い描く!
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